故久保清さんの追悼を偲ぶ

インフォメーション2

1960年「安保・三池」のたたかいの3月29日、三池四山坑正門前で第二組合員の就労阻止の「ピケ」行動中の久保清さんに対し、ピケ破壊目的の暴力団は匕首で胸部を刺したのです。
血に染まった身体は近くの四山分院に運ばれましたが即死の状態で亡くなりました。この報告が炭労に伝わり炭鉱労働者と家族に、総評から全労働者、家族に怒りとなって、三池闘争と安保闘争の一大政治闘争に連動する契機となったのです。三池の1200名の指名解雇は、炭鉱労働者11万人の首切りを許さないたたかいとなりました。
この貴重な闘いの歴史が薄れています。私たちは毎年3月29日、墓前で久保清さんの弟薫さんを囲み、追悼集会を開催し、歴史を忘れず運動強化を
目指しています。
労働大学まなぶ友の会
三池友の会

2017/11/23