第15回三池友の会に学ぶ全国交流会基調(案)

第15回三池友の会に学ぶ全国交流会基調(案)ができました。

実行委員長挨拶_R
(昨年の第14回三池友の会に学ぶ全国交流会の模様)

第15回三池友の会に学ぶ全国交流会基調(案)………第6次試案

日 時 2018年9月29日~30日

場 所 大牟田市 甘木山ハイツ

1、はじめに

全国から結集された仲間の皆さん、友の会員並びに、三池CO共闘会議の皆さん、大変ご苦労様です。昨年は埼玉県比企郡嵐山町菅谷にある「国立女性教育会館」で開催されました。今年は、三池友の会のご尽力によって、福岡県大牟田市甘木山ハイツで「第15回三池友の会にまなぶ全国交流会」を開催する運びとなりました。成功に向けて大変な準備を重ねてきました三池友の会の皆様には心から感謝する次第であります。

さて、昨年の第14回交流会では、第13回交流会で提起された「収支を明らかにしたメモ化」の報告がされて、我慢したり、節約したりしている窮乏の実態が明らかになり、「これが人間らしく生活するということなのか」、資本主義社会では社会保障制度は確立しない、という怒りの根拠がすこしずつ明らかになりました。今回も引き続いてさらに討論を進め、かつ、広げていく積み上げの交流が求められているところです。

そして、今回の交流会は第15回という節目の大会です。第1回からの積み上げによって、「職場・生活・健康の見直しのメモ化は階級闘争の基礎である」という、三池CO闘争から学んだ運動を確立できたことであり、成果であることを互いに確認することができると思います。第15回交流会の命題は、この成果を一人一人が職場や家庭で実感できるよう討論を深めあうことにほかなりません。 それでは以下、交流の基調を提案いたします。

 

2、情勢から何を学ぶのか

 

資本主義的合理化攻撃が資本主義の危機の表れとして、一層深まりつつある

 

労働強化と収奪を強める安倍政権

(1) 1963年458名の死者、839名のCO中毒患者を作り出した三池大災害は、三井資本の生命を無視した生産第一主義がもたらした資本主義的合理化でありました。あれから、56年が立った今日。裁量労働制で働いていた野村不動産50代男性社員が長時間労働を苦にして自殺したことを政府が2月29日に明らかにしました。

これは、昨年多くの「過労自殺」が出されたことと同じように、三池三川鉱での炭塵大爆発と同様に、飽くなき利潤を追求した生産第一主義の資本主義的合理化の結果にほかなりません。

問題なのは安倍政権が労働強化によって「死」を招かざるを得ない、労災認定と同じ残業上限100時間と裁量労働制の拡大と高度プロフェショナル制度の拡大を『働き方改革』と称して、通常国会に提出したことです。これは、法律によって合法的に「人殺し合理化」を一層進めることにほかなりません。

(2) 昨年過労自殺した電通の高橋まつりさんの母親は「働き方改革関連法案は過労死の防止と矛盾する。絶対に許すことができない」と訴え、同じく過労死で亡くなったNHK記者の佐戸末和さんの母親も「制度の拡大で長時間労働が野放しになり、ずさんな労務管理の言い訳になるだけだ」と裁量労働制を批判しています。なりふり構わない政府の裁量労働制によって労働時間が短縮されるという「データー」はでっち上げの誤りであることが明らかになり、今国会では取り下げることとなりました。しかし、高度プロフェショナルの導入に対して、「労働時間も把握されず、過労死しても労災認定されずに自己責任とされ、泣き寝入りする遺族が増える」と撤回を求める「全国過労死を考える家族の会」代表寺西笑子さんや、反対する大勢の声を無視して、安倍自・公政権は「働き方改革」関連法を強行採決で成立させました。

「働き方改革」関連法は究極の「労働者搾取法」です。参議院で「付帯決議」47項目をつけ、さも安全、適正運用を監視するとしていますが、過去「国鉄改革法」成立時に参議院で、「一人も路頭に迷わせない」と付帯決議が付きましたが、実施後それは守られませんでした。

「働き方改革」関連法成立後においても、「私たちは労働力を売っても生命までは売っていない」という当然の権利を確立し、「法の廃止」を求め闘い続けることがもとめられます。

 

CO患者・家族の実態と紙一重

(1) 民主主義に背を向け、強権的な国会運営で暴走を続ける安倍政権も、森友学園との国有地取引に関する決裁文書の改ざんや、加計学園問題で4月には支持率が26.7%に急落、不支持率が52%と、不支持率が支持率を上回りました。しかし、その後、安倍政権・自民党・公明党・官僚・佐川不起訴処分を決定した検察等との一体となった「疑惑隠し」により、支持率が上向くなど否定的な現状も資本によって作り出されています。

問われているのは、安倍政権の数の力を背景にしたおごりと、緩みによる大資本擁護、弱者切り捨ての格差拡大政策にほかならないのであって、いつ、矛盾が爆発するのか恐怖におののく安倍政権であることには変わりありません。

(2) 10万人に年金過小支給をした日本年金機構は組織の人員削減合理化をかかげ、外部委託を積極的に進め、その委託会社も800人とした労働者も合理化によって百数十人に過ぎない人数で運営され、さらには、中国の関連会社への再委託違反がありました。

又、今国会で成立した2018年予算案では社会保障費を約5000億円削減、主な内容は医師の診察料・入院代を0,55%引き上げ、紹介状なしで病院にかかる大病院の「定額負担」対象病院の拡大、高齢者の「高額療養費自己負担」の引き上げ、介護保険は65歳以上平均5869円台となり昨年より6.4%の増。生活保護受給者の三分の二にあたる生活保護費の減額、年金プアといわれる高齢者女性の一人暮らし等々まさに、生命と健康をむしばむ合理化が進行し、「生きる権利」を剥奪しているのです。

資本主義社会の中では、社会保障制度は確立しないことがますます明らかになっています。こういう状況は、私達の暮らしが今まで三池CO闘争で学んできた「CO患者・家族の実態と紙一重」という状況になっていることを示しています。

 

 

諦めずに闘い続ける仲間に学ぶ

(1) 5年目を迎えた安倍官邸春闘はデフレ脱却には、「3%以上の賃上げ」を財界に求めました。しかし、大手大企業の平均賃上げはベアプラス定昇込みで6515円(2.16%)と「3%」には程遠い状況です。さらには、トヨタの3.3%回答やシャープ3%回答のようにベアの改善額を示さずに回答する企業が出るのは、春闘での統一闘争による相場形成を否定する資本の論理と、ストライキで春闘を闘わない連合のお願い路線の当然の帰結であるといえます。

しかし、そういう否定的な状況の中で、3月12日・13日と東日本NTT関連合同労組は「一律4万円引き上げ、60歳超えた社員の時間給1500円以上の賃上げ」を要求して、それぞれ一時間のストライキを闘い抜きました。電気通信産業労働組合は3月14日に「1日8時間働いて生活できる賃金」を要求してストライキで闘いました。

(2) 又、春闘だけでなく、権利闘争でも成果を上げています。3月21日には、日本郵便の「正社員に支払っている、扶養手当・住居手当・年末年始勤務手当が契約社員に支払われないのは、労働契約法20条違反」として3月21日に大阪地裁で判決が出されたことは、非正規労働者に大きな励ましとなりました。さらに、北九州市の食品会社に勤める定年を迎える社員に「再雇用の条件として、賃金を25%相当に減らす提案をしたのは不法行為に当たるとして、会社に慰謝料100万円の支払いを命じた福岡高裁の判決」が、賃金を75%減にしたことに対し「定年前後の労働条件の継続性・連続性が一定程度確保されることが原則。不合理な相違許されない」とした昨年の福岡高裁判決が今年の3月1日に最高裁で確定したことも「高年齢者雇用安定法」に基づく再雇用労働条件の闘いの前進につながると思います。

私達は、諦めず粘り強く闘っているこれら労働組合や仲間の闘いに学び、職場・生活・健康の見直しのメモ化による仲間との討論から自分の要求を確立し、広げることが求められているところです。

 

3、交流会を15回へと積み上げた成果に学ぶ

三池に学ぶ交流会は2004年を1回目として始まり、最初と2回目は「現地CO共闘が分裂」した探求から出発し、現地交流を毎年行いながら、教条主義と経験主義、物取り主義への批判と認識を深めあう交流を進めてきました。そして、第4回目の交流会ではそれを総括して、その原因を集約した中から、「一大共闘運動を方針化していたが広がりを勝ち取ることができなかった」反省を踏まえ、交流会の名称を「三池友の会にまなぶ全国交流会」と改め、以降、この名称で交流を進めてきたのです。

それは、三池CO闘争と労大まなぶ運動は車の両輪であり、階級闘争としての視点に立ち「学習一生・闘い一生」の思想で、この社会と闘い続けている三池友の会の諸先輩たちとの交流を続けていこうと取り組んできたわけです。それは、まなぶ第一学習会を、外部と内部の五人組運動と家族ぐるみの強化を通して相互討論・相互批判の中で、諦めを怒りに、要求に変え仲間つくりを続けていく場として「第一学習会を闘いの砦」確立することが、三池CO闘争の長期抵抗統一路線(反合理化闘争の戦略路線)の実施ですし、「学習 反合理化 社会主義」の理論と実践につながっていくからです。

従って、この思想に基づいた交流会を積み上げてきた中で、各回ごとに参加者が多数参加され、第6回交流会では「職場・生活の見直しのメモ化」を本格的に取り組む発火点となり、多くの成果をつかむことができました。それは、三池CO闘争で明らかになった「すべての職場にかけられている合理化による実態は、CO患者とその家族と紙一重ではないか」といった資本主義の本質を、交流会を重ねることによって、「職場・生活の見直しのメモ化」を取り組む中から、「自分たち自身も同じだ!」という実感と、許せない要求の根拠が明らかになったことです。今、「メモ化」の取り組みが第一学習会(内部の5人組)の強化へとつながりつつあるのです。

 

4、三池CO闘争から学ぶ

私たちは、三池CO闘争をどのように学ぶのか、1963年458名の死者、839名のCO中毒患者を作り出した三池大災害から、三池CO闘争は、「生命と不治の病と化した体を返せ」とその責任を三井資本に対して闘い続ける「命と権利を守る」闘いなのです。この闘いで資本主義が労働者の当然の生きる権利を奪っている実態を明らかにさせることができました。従って、三池CO闘争は人間らしく働き、生き続けるための許せない要求実現の闘いでもあるのです。

それは、人間らしく当たり前に、生きていく、働き続けていくという要求をすればするほど、資本は認めないと言ってくるからこそ、闘いになります。「労働者は社会の主人公」ということを貫き通していくことができない弱さが、四つの課題を三つにまなぶと私たちは言っています。やはり、「労働者は社会の主人公」ということをどのように自分たちは実現していくのか、それは三池の歴史から、三池CO闘争から学ぶということになります。

そして、許せない要求とは何か、①命と健康の保障。②働く場所の保障。③健康にして文化的な人間らしい生活ができる賃金の保障。④老後の年金の保障。⑤資本の都合の良い教育ではなく労働者の権利が保障される子供の教育と平和と民主主義の保障。をかかげています。この5つの要求が私たち自身のものになっているか、見直しのメモ化を討論する中で、何が問題なのか、何でこういう実態なのか、を明らかにして、自分自身の許せない要求とすることができるのかが、三池CO闘争から学ぶことになるのです。

 

5、メモ化を家族ぐるみで取り組むということは交流を深めるということ

15回までの交流会で「職場・生活の見直しのメモ化」を家族ぐるみで取り組もう。と討論をしてきました。それは、三池では「家庭の中に労働組合運動を」というのが主婦会のスローガンであったからです。現在私たちの仲間も企業定年者が多くなり、組合を離れると主体的な運動を取り組むことが困難になり、今までの職場の闘いが無くなりそれとともに怒り、要求を忘れがちになります。それで、「生活の見直しのメモ化」の取り組みを家庭に運動として広げていこうという提起でした。

なかなか思うように進みません。その原因は妻との会話や、家族との会話が少ないことや、「どうせ話をしても理解してくれない」という諦めの気持ちや、「お父さんは、お父さん、私を巻き込まないで」という「壁」にぶつかったりしているところがあるのではないかと思います。

昨年第14回の交流会の感想を川野さんは、「私はすべて、一日一日が資本に対する憎しみと怒りが増していった生活でした。どんなに小さなことでも家族での話し合いが真剣でした。」「お互いに、元気の内に病気にならないよう家族で話し合い、支えあい、励ましあいました。」「家内が亡くなるまでの間、家内が交流に参加できない場合でも、私は、必ず、参加した内容を報告します。家内はそれをメモしていました。そして、こういう成果となっているのは、皆さんとともに交流会の場に参加してきたからです。」と述べています。

やはり、私達は、交流を重ねることによって、交流を深めることによって、討論と突合せと学びあいの中から、家族ぐるみの取り組みが前に進めることができるのではないでしょうか。そのためには、見直しのメモ化には夫婦での会話や家族の状況をメモし、討論を深めることが求められていると思います。

 

6、第15回交流会で目指すもの

今、交流会では、現地大牟田での開催です。元三池主婦会の女性達も参加されています。女性達は、これまでの交流会で、「私たちの運動は、すべて三池労組と家族ぐるみで生命と健康・生活、平和と民主主義を守る闘い。」と報告されてきました。父親やご夫婦での「じん肺闘争、CO闘争」を闘い続けた責任追及の闘い、党強化の闘いなど家族ぐるみの取り組みをしてきた貴重な報告を、討論で学び今後の運動に生かしていきましょう。

第15回交流会の命題は、今回までの積み上げの成果を一人一人が職場や家庭で実感できたのか、「職場・生活・健康の見直しのメモ化」は階級闘争の基礎と本当に思えたのか、成果や弱さを出し合いながら討論を深めあうことにほかなりません。

昨年の埼玉県協の総会でもいろんな弱さと、成果、課題が出されました。①ある人からは、「メモ化の取り組みが自分を変える見直しの取り組みだとなると、自分の生活態度を改めることが求められる。妻からは、定期健康診断も受けない。金遣いが悪い。遅くまでテレビを見て電気代がかかると文句が来る。これが生活の見直しによって最初にぶつかる問題だ。気が重い。」②ある人は、「何年か自己流でメモ化をしていました。ある時、こんなメモで良いのかと考えるようになり、結果的にやめてしまいました。始めればすぐにも出来そうに思うのですが、なかなか再開できません。」

課題では、③「メモ化の記録については、忙しさにかまけて、記録をすることが出来ていません。日課にならないのは、目的意識が弱くなっているのだと思います。これでは、惰性に流されてしまいます。1週間、1カ月くらいで、その都度、見つめ直しまとめることが必要だと思いました。」

④「ほとんど、職場、生活の見直しとしてメモをつけることができなかった。学習会でメモの突き合わせを討論すると、自分が仕事ありきの働き方から、健康で働きつづけられるように変えなければならないと気付くことができる。やはり、職場・生活の見直しと第一学習会の討論が必要だと思う。」

成果としては、⑤「メモ化をしていると、自分への攻撃が客観的にとらえられ、また仲間への攻撃が時間差攻撃としてとらえる事ができる。仲間の変化を見逃さず、仲間が攻撃されている時、寄り添う事が出来る。正に闘う為の武器である。」

参加された皆さんも忌憚のない率直な意見を討論しましょう。討論の中から小さな成果をだしあいましょう。その小さな成果が「職場・生活・健康の見直しのメモ化」は階級闘争の基礎と実感できるでしょう。

 

2018/07/13